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感化の教育 4 [感化の教育]

 
 感化の教育 4
 
 教育とは感化

「いくらいっても、子どもがよくならない」
 という話はよく聴きます。
 教師の発する言葉は、口だけの場合が多いですね。
「先生は○○というけれど、自分(先生)はやっていないじゃないか」
 子どもたちは口には出しませんが、このように思っています。

 (例)
 教師の言葉  教師の行動
 「チャイムが鳴ったら席に着きなさい」  チャイムが鳴っても授業を続ける。
 「きれいに掃除しなさい」  まったく掃除しない。
 「人の話をきちんと聴きなさい」  子どもの話を聴かない。
 「進んで発言しなさい」  職員会議で発言しない。

 などなど、枚挙にいとまがありません。

 いうこと(口)とやること(身)が一致していないのです。
 ですから、子どもが素直に聴くはずがありません。

やってみせ、いってきかせてさせてみて、ほめてやらねば人は動かじ。
 
 有名な言葉ですね(山本五十六、元は、上杉鷹山の言葉といわれています)。
 この中で、どこが大切だと思いますか。

 私は、99.999%「やってみせて」が大切だと思います。
 
 「やってみせて」は、奥が深いです。
 言葉の裏にあるものがわかったとき、ショックでした。

 「やってみせて」に隠された秘密とは?

 教えない教育というのは、昔からありました。
 職人、芸人の世界がそうですね。
 内弟子です。
 雑用をしたり、師匠の世話をしたりしながら、知らず知らずのうちに学ぶのです。
 言葉ではありません。
 毛穴を通して入るのです。

 頭から入ったことは、3日持ちません。
 世のしがらみに圧せられ、すぐ元に戻ってしまいます。
 一方、毛穴から入ったことは身になります。
 
 この「毛穴を通しての教育」が、私のいう感化です。

 知らず知らずのうちに学級がよくなり、驚くべき事実が生まれるのは、子どもたちが感化されるからです。
 教師が発するオーラが、子どもたちに伝わり、学級をよくするのです。

 
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感化の教育 3 [感化の教育]


  感化の教育 3

 身・口・意 三位一体

 2学期も後半になると、地域のゴミ拾いをする子が出てきます。
「前は、吸い殻が落ちていても氣づかなかったんだけど、今は、拾っても拾ってもまだまだあることに氣づきました」
 といいます。
 これが、意識しているかいないかの差です。
 意識することによって、今まで見えなかったものが見えてきます。
 教師の場合も同様ですね。
 例えば、学級の力量を測るには、次の点を見てみましょう。
 あなたは、すぐに答えることができますか。
  ・休み時間、子どもたちが出ていったあとの教室を見てみましょう。
   いすはどうなっていますか。机の上はどうなっていますか。
  ・体育、着替え終わったときの机の上、洋服はどうなっていますか
  ・給食後の片づけ、子どもたちの食器はどうなっていますか。
  ・廊下歩行のときはどうですか。

 明確に答えられた人は、かなり意識して見ていますね。
 たいていの場合、答えられません(これらのことの重要性がわかっていないので、見ようともしないからです)。
 「そんなことはどうでもいい」と思う人もいるでしょう。
「細かいですね」
「もっと大切なことがあるんじゃないですか」
「心を育てることが大切じゃないんですか?」
 以前よくいわれたことです。
「心を育てるって、具体的にいってくださいませんか」
「…」
 
 行動が伴わない限り、きれいごとで終わってしまいます。
 具体的にいえない人は、意識していないのです。

 森信三先生はいいます。
  知ってて実行しないとしたら、その知はいまだ『真知』でないと深省を要する。

 その通りだと思います。
 「心を育てる」スローガンで止まっていませんか。
 口でいうのは簡単です。
 実践するとなると、そう簡単にはいきません。
 具体的なレベルまでおろさないと意味がありませんから。

 例えば、給食の後かたづけ。
 「洗い物をする方の立場に立つ」とは、どういうことでしょうか。

 (例) 食べかすをきれいにとって返す。
       そのために ↓ 

     ティッシュなどで食べかすを拭き取る。
     パンを小さくちぎり、最後にソースを集めて食べる

     きちんとそろえて返す
               ↓
    
     音を立てないで食器を重ねる
     ご飯のときは、入れ物に水を一杯入れて返す。
     しゃもじは洗って返す。

 大切なことは、具体的に考え実行することだと思います。
 具体的行動です。

 思いが行動を生みます。
 立派な思いを持っている人の行動は、例外なく立派です。
 逆にいえば、行動しない人の思いはたいしたことがないのです。

 芸道で一挙手一投足がうるさくいわれるわけは、心を養うためでしょう。
 教育についても同じだと思います。

 子どもたちの心を育てるために、行動から入ることも大切です。
 礼の仕方、歩き方、姿勢、かたづけ、整理整頓など。
 
 さて、これからが本題です。
 この稿を読んでいる方は、少なくとも「子どもの力を伸ばす価値ある教師になりたい」と思っている人でしょう。
 だからこそ、すばらしい学級を見ると悩みます。
 あまりの違いに愕然とします。

 私も悩みました。
 
 この違いは何か ずっと考えてきました。

 あるとき、わかったのです。

 決定的な違いは、意識だと。

 昔からいわれる身口意(しん く い)です。
 身…行為、行動
 口…言葉
 意…思い

 これらが一体になったとき、ものすごいエネルギーが生まれるといわれています。
 なるほど、すばらしい実践家は思いがすばらしい、いっていることもすばらしい、実践もすばらしいです。これら3つのことが、一致しています。
 逆の場合が多いですね。
 口と身のギャップが激しい人が多いです。   
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感化の教育 2 [感化の教育]

 
  感化の教育 2

 根本が変わる 

 禅の教えに「脚下照顧」があります。
 具体的な行動でいえば、脱いだ靴をそろえることです。
 私は少林寺拳法をやっていたので、必ず靴をそろえます。
 自分の靴はもちろんのこと人の靴もそろえます。

 4月から、学級の子どもたちの靴をそろえます。
 今日1日充実していたというとき、靴はそそっています。
 今ひとつだったなと思うとき、靴は乱れています。
 靴の乱れは、心の乱れです。
 心(意識)がそこにないから、ポーンと投げ入れてしまうのです。 
 帰るとき、「今日も1日ありがとう」と思いながら入れます。
 これは、学校生活の終局をきちんとするということです(けじめをつけるということでもあります)。
 物ごとは、終わりがかんじんです。
 
 2学期になると、靴をそろえる子が増えてきます。
 人の分までそろえる子も出てきます。
 12月になると、他学年の靴をそろえる子も出てきます。
「先生、きちんとしていると氣持ちがいいね」
 行動している子はいいます。
 そろえ方も、変わってきます。
 ただそろえていた子が、両手できちんとそろえるようになります。
 ていねいにそろえるようになります。
 このように、行動しているうちに意識が変わってくるのです。
 それに伴って、活動が広がる、深まる(いわゆる、プラスα)のです。

   広がる…自分の靴→人の靴→学級の靴→他学年の靴→全校の靴
 
   深まる…そろえる→きちんとそろえる→両手でそろえる→氣を入れてそろえる

 靴そろえの意識は、他の活動にも波及します。
 トイレ掃除を始めます。トイレットペーパーを三角形に折るようになります。
 登校するとき、空き缶、ゴミなどを拾ってくるようになります。
 家でも靴をそろえたり、食事の片づけをしたりするようになります。
 進んで行動する子が増えてきます。

 一つの行動が変わると他の行動も変わります。
 それは、意識という根本部分が変わるからです。
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感化の教育 1 [感化の教育]


  感化の教育 1

 子どもを変えてやろう…と力むのではなく、自分のなすべきことをきちんとやります。
 例えば、チャイムと同時に授業を終えます。
 板書をきれいに消します。
 子どもたちの靴をそろえるなど。
 黙って行動します.
 これを、黙動(もくどう)といいます。

 黙って行動すると、どんなことが起こるでしょうか。

 意識
 かなり前のことですが、2つの学級を参観しました。1学期より格段に進歩した子どもたち。着実に力を付けているとうれしくなりました。
 半面、氣になるところもありました。
 私が重視している点を、若手2人が軽く考えているように思えたからです。
 それは、意識という言葉に集約されるでしょう。
 例えば音読です。
 姿勢が氣になりました。足をふらつかせたり、いすにもたれたり、肘をべたーっと机につけたり…姿勢を意識していない子があまりにも多いのです。正しい姿勢、姿勢をよくする意味など教えていないのではないでしょうか?
 「形を整えると心も整う」昔から語り継がれている言葉には深い意味があると思います。
 正しい姿勢(例えば、背もたれにもたれない、背筋をまっすぐにする、足の裏をぴたっと床につけ、親指の付け根に力を入れる。下腹部(丹田)に意識を持っていく)をとると、氣持ちがしゃんとなります。「これから学習するんだ」という心構えもできます。
 正しい姿勢をとると、エネルギーが湧いてくるのです。
 子どもに「やる氣をだせ」という前に、正しい姿勢を教えたいものですね。
 さて、続きです。
 子どもたちの音読に、息吹が感じられないのは残念でした。
 原因は、意識にあると思います。
 音読する目的がはっきりしていないのです。「何のために読むのか」わからず、教師の命ずるままに自動的に声を出している…そんな感じがしました。
 言霊(ことたま)といわれるように、言葉には命が宿っています。その命を噴出させるためには、氣を入れて読む必要があるのです。
 それができていないのは、意識していないからでしょうね。
 
 もう一つ例をあげてみましょう。
 一つの学級は、質の高い話し合いをしていました。私がうなるような意見が次々に出されました。意見のまとめ方、話し合いの進め方もできていました。おしいかな、机の向きが前向きなのです。一番後ろの子が発言するとき、ほとんどの子が背中で聞いていました。
 話し手は、聴き手の反応を確かめながら言葉を発します。聴き手は、うなずいたり、首を傾げたり反応しながら聴きます。言葉のバイブレーションの交流なのです。
 それが、相手に背を向けているとしたらどうでしょう。効果は、百分の一以下になるのではないでしょうか。
 奥さんと話すとき、背を向けては話さないでしょう。それなのに、授業においては意識しないというのはどうしてでしょうか。
 「人の話を聴く」というのは、具体的な行動にあらわれます。
  (例) 話し手の目を見る。
      反応する。
      質問する。
      つけ加える。
      そこから思いついたことをいう。
 机の配置としては、コの字型がいいと思います。

 もう一つの学級は、机がコの字型でした。子どもたちはよく発言しています。指名なし発言です。
 おしいかな。聴き手が話し手の目を見ていません。ということは、心ここにあらず、心が向いていないということではないでしょうか。
「○○ですね」
というと、
「はい」
と反応します。反応はしているのですが、生返事なのです。
「宿題やったの」
と母親にいわれて、自動的に
「はい」
と答える子ども。そんな感じでした。
 形に流されていて言葉の交流がないのはもったいないと思いました。

 私が見たのは、音読と話し合いの授業です。 
 しかし、他の授業においても同じことがいえると思いました。
 意識が不明瞭です。

  一つひとつの活動を意識してやること
  いつも意識を明瞭にしておくこと

が必要です。

 単元づくりにも必要な意識
 
 単元づくりにも意識が必要です(ある程度の経験をしたら、指導書の受け売りは論外)。
 各人それなりに考えて実践しているとは思います。
 問題は、何を意識するかでしょう。

 私の場合、人間の生き方につなげることを意識しています。
 それを、子どもの実態に合わせて具体化するのです。

 (例)
 算数の授業 『三角形』では
        親            心             知
    教師 △ 子ども    技  △  体      徳  △  体

 3つ合わさると、ものすごいエネルギーが出ます。
   ・自分を伸ばすトライアングルは何か。
   ・学級をよくするトライアングルは何か。
 
 理科の授業 『日なたと日かげ』
 表と裏との関係。天と地、陰と陽、男と女のように、どちらが欠けても成り立たないもの。
 
  日なたとは?     よさ      悪さ      よく使われる言葉
  日かげとは?     よさ      悪さ      よく使われる言葉

 子どもたちの考え
  日なた   目に見える部分
  日かげ   目に見えない部分→人に知られずして努力する。
           例 Iさんの一輪車練習
              ゴミ拾い、靴そろえ

  ※日なたを支えるのがかげ

 このような感じでやっています。
「えっ、これ算数ですか?」
「これが理科ですか?」
といわれます。
 私がやっていることは、教科の枠を飛び越えていますね。
 総合科?人間科?
 いずれにせよ、意識しているのは「生き方につながる授業」です。
 これからは、「総合的な学習です」といえばいいですね(笑)


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